たまたまな日々・「タクシー運転手はもう死んでいるのでは」について
こんにちは。
今朝、記事を出しました。
▼伊藤詩織さん映画、「修正箇所不明」のまま日本公開へ 元弁護団は内容証明送付(2025年11月7日)
少し長い記事ですが、この件について興味関心のある方は読んでもらえたらうれしく思います。特に、西廣弁護士のコメントは……。
そして、上記記事の補足をこちらで書きます。
伊藤さん側に送った(11)の質問の11個目が「(11)望月記者の記事によれば、伊藤さんは望月記者の取材に対してタクシー運転手の方は高齢なのでもう死んでいるのでは、と言ったとあります。この発言について、現在の伊藤さんのご見解を教えてください。」でした。
回答は結局「望月記者から取材を受けていません。」というもので、ええ……となったのですが、こちらについてもう少し詳細を書きます。
最初の回答は「伊藤は望月記者から取材を受けていません。」でした。
質問の(8)と(11)は伊藤さんに直接お答えいただければと申し込んでいましたが、回答が「伊藤は……」というものであったため、代理人弁護士の方の言葉なのかなと思いました。
「取材を受けていません」というのは、発言に対する見解の直接の回答ではないため、
・当時、望月記者から連絡は一切なかった
・連絡の際に望月記者から「これは取材です」ということわりがなかった
どちらの意味かを教えていただけると助かります、と重ねて質問しました。
これについては、「伊藤さんに問い合わせるが、時差があるので返事に時間がかかるかもしれない」と代理人の方から返信があったため、ご本人の弁が直接返ってくるのだなと思いました。
間もなく返信があり、「伊藤さんからの連絡をそのままお伝えしますね」という代理人の方の言葉と共に、下記のような回答がありました。
「当時、望月記者から取材は受けていませんし、取材をするなら連絡をして欲しいと弁護士経由で伝えたが連絡はありませんでした。」
望月記者は記事の中に伊藤さんの言葉をはっきり書いています。さすがに、新聞社の記者が発言を捏造していたら大問題になります。望月さんに、再度経緯を確認の上、私は再度、伊藤さん側に質問を投げました。
「何度もお手数で申し訳ないのですが、再度伊藤さんに下記を確認できないでしょうか。
・昨年10月に行われた元弁護団の記者会見の日の朝、伊藤さんから望月さんへ電話をした際に、望月さんの問いかけに対して「タクシー運転手とは連絡が取れなかったので、もう死んでいるのでは」という意味合いの回答をした記憶はありますか。」
回答は下記でした。
「望月記者から取材を受けた事実は一切ないとのことですので、それでご理解頂ければ幸いです。」
とても残念に思いました。
最初の(1)〜(11)の質問についても、都合の悪い部分は答えない姿勢が伺えましたが、発言への見解や記憶を聞く質問に「取材を受けていない」という返答は答えになっていません。発言をしていないのであればそのように答えれば良いだけなのに、そうは言わない。最近の政治家のスタイルをそのまま踏襲しているかのような回答をとても残念に思いました。
ただ、この回答は、彼女の現在の「見解」を読み解く上でむしろ雄弁だなとも思います。なかったことにするのだなと。伊藤さんはいったん望月さんを提訴し、それを取り下げた経緯もあり、もう引き下がれないのだなと理解しました。
以前やりとりがあった愛嬌のある彼女を思い出し、「あの時は動転してつい口走ってしまった。本当に申し訳ないと思っている」という一言が聞けるのかもしれないという期待をわずかでも持った私は甘かったのだなあと思います。
何度も書いていますが、この件に関しては今年2月に伊藤さんがFCCJの記者会見をキャンセルした後、元弁護団に対する誹謗中傷や、根拠のない憶測が多く拡散されました。何千、何万とリポストされている投稿もあり、伊藤さんに対する疑問を少しでも書けばすぐに感情的にリプライが飛んできました。
バッシングやクソリプにそこそこ慣れている私でも怖かったので、ネット上で意見を言えなかった人もいると思います。伊藤さん擁護=リベラル、伊藤さん批判=ネトウヨ・保守、みたいな図式で捉えられているところもあるので、リベラルの人でこの件で疑問を持っている人は、それを表に出しづらい状況があったと思います。今でもその空気は残ってますよね。
当時、元弁護団へのバッシングや根拠のない憶測を煽った一部の男性記者、ジャーナリスト、活動家はその後トーンダウンし、この件についてほとんど投稿しなくなった人もいます。ただ、彼らがどんなことを言っていたのか、私はちゃんと記憶しておこうと思っています。元弁護団の被害は取るに足らないものであるとか、そもそも被害などないとか、元弁護団の「落ち度」を探し出してやっぱりこいつらが悪いと言い立てる彼らの攻撃的で侮蔑的なものの言い方は、性暴力加害者を擁護する人たちの被害の矮小化にそっくりでした。
これも以前から何度か書いていますが、私はこの映画に対する「性暴力の真実を明らかにする」とか「日本の闇に光を当てている」という評価には疑問を持っています。
詳しくは以前の記事に書いていますが、この映画の中に登場する証拠や証言は、すべて伊藤さんに有利なもの(そして映像としてインパクトのあるもの)だけだからです。実際は伊藤さんに不利な証拠や証言もありました。それは映画だけ見た人にはわかりません。この映画を見て「不起訴はおかしい」「民事での勝訴は当然」と思うのは当たり前です。対立する証拠が示されていないからです。
密室で、顔見知り同士で起こる性犯罪捜査の難しさについては、この映画ではわかりません。現実が一方の視点に寄って単純化されているからです。証拠の一部のみを印象的に散りばめた映像作品を「真実」として全世界に広めることに「公益性」があると言えるのか、私にはわかりません。
検察にプレッシャーを与えることにもならないと思います。彼らが持っていた証拠・証言の半分、一方に都合の良い証拠しか登場しない映画を見せられても、「自分たちに反省すべきところがある」とは思わないでしょう。「被害者からは事件がこのように見えているのだな」とは思うかもしれません。
また、左派の方々が口にする「国家権力の圧力」については、映画の中で何らかの決定的な証拠が示されるわけではなく、イメージ映像やニュース映像による仄めかしのみです。エモーショナルな構成なので、感情が動かされることはあると思います。
自分の作った作品について批判や抗議と真摯に向き合うことのない人の言葉を、私はずっと信じてきてしまいました。
この映画が無条件に世界で受け入れられていること、声を上げた人に対するひどいバッシングがあり、私がこれまで信頼していたインフルエンサーの何人かもそれをたしなめることなくむしろ煽ったこと、監督が約束した修正を行わないまま世界中で公開され、また、説明が充分ではない状況で日本でも公開されようとしていることを大変残念に思います。
批判している人、作品に懐疑的な人、擁護している人、公開を待ち望んでいる人など、さまざまな人がいると思いますが、おそらく「検察審査会が不起訴相当とした理由」が開示されることは、どの立場の人もあまり異論がないと思います。
開示される可能性は低いでしょうけれども、私も開示を望んでいますし、開示につながるアクションがあるかを考えたいと思います。民事訴訟の記録については、今も一部については東京地裁・高裁で閲覧申請することができるはずですので、気になる方は閲覧方法を調べた上で東京地裁へ行ってみたら良いかと思います。
リベラルな人やフェミニストは、この件に関する私の記事にをなかなかシェアしづらいと思います。それでもシェアしてくださる人の存在が励みになります。