たまたまレビュー#25 『どうすればよかったか?』
たまたまレビューでは、書籍・漫画・映画・ドラマなどのレビューを思ったままに書いています。
大体週末の午後に更新します。
今週の一本
▼『どうすればよかったか?』(藤野知明監督)
簡単なあらすじ
藤野知明監督は医学系の研究者である両親の元に生まれ、8歳年上の優秀な姉がいた。面倒見が良く優しかった姉・雅子は、医学部に入学後、突然わけのわからないことを叫び始める。しかし初診で問題ないとされ、精神科受診がむしろ雅子を傷つけると医師から言われた両親はその後、頑なに受診を拒むようになる。当時20代だった藤野監督は両親の説得を試みるが、諦め、いったんは札幌の実家から遠く離れた場所で仕事に就く。その後、映像制作を学び、2000年代から家族の様子を映像に収め始める。その約20年間の記録。
見る前に想像していたのと違った点
映画の冒頭で、「この映画は姉が統合失調症を発症した原因を究明するものではない」「統合失調症がどういう病気かを説明するものでもない」といった注釈が入る。映画を見る前に「発症の原因はわからないのだろうな」と思っていたので、この注釈は意外ではなかった。
しかしこれが予想と違っていて、映画を見ると早い段階で姉・雅子さんがこのような状態になった理由は理解できてしまう。もちろん医学の専門家ではない素人の理解なので早計に判断してはいけないのだろうけれど、映画を見た多くの人は「これが原因では」と思うだろう。
映画のタイトルは「どうすればよかったか?」であり、「どうすればよかったか」に答えが出ない映画なのだと思ったのだが、単純にそうではなかった。第三者としてこの家族を見れば「どうすればよかったか」は一つの答えが出る。けれど、じゃあ自分が当事者である家族(あるいは親戚)の一人であったときに何かできたのだろうかと考えると、決してそうではない。
ネット上では、直面している困難をつづる人に向かって無責任な「アドバイス」が向けられやすい。第三者から見ると、そんなのは簡単に乗り越えられることだというように、求められてもいない無神経な助言がなされる。その場所にいまうずくまっている当事者が、なぜ「簡単」に思える解決策に手を伸ばさないのか(伸ばせないのか)にこそ、想像が寄せられるべきなのだが、そうはならない。
同じものごとが、第三者から見ればシンプルに、当事者からは複雑に見える。DVや虐待、引きこもりといった家庭内の問題はすべて同じ傾向があるのではないだろうか。
※以下、ネタバレありです。