たまたまな日々・「変見自在」に赤を入れられない新潮社

引っ越しと本/今週の取材/新潮さん……/女性の休日/猫タクシー
小川 2025.08.06
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 「たまたまな日々」は、ライターの筆者がその時々で体験したことや思ったことを書いている日記のようなものです。今回は自分の引っ越しのことや、今週あった取材(週刊新潮のひどいコラムの件とか)について書いています。

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引っ越しと本

 引っ越しを舐めていた私が悪い。20代の頃はわりと頻繁に引っ越しをしていたため、引っ越し上級者だとたかを括っていたのが悪かった。あの頃に比べて荷物が爆増したのを計算に入れていなかったのです。

 もう全ッ然、片付かなくて。洋服などが入った中ぐらいの段ボール20箱、本や書類が入った小さい段ボール20箱、この際全部捨ててやりたい。洋服にしても本にしても、一つひとつ「これ必要かな?」をする作業が面倒を通り越して無理。

 洋服の断捨離についてはネット上でTipsがよく転がっていて、「半年着ていない、ほつれがある、似合わなくなった、サイズが合わなくなった……、これらに一つでも当てはまったら捨てる!」などと書いてある。その話、とてもわかる。しかし本については……。3年前と今回の引っ越し、2回の引っ越しで運ばれたものの、一度も開かれていない本が5割、前回の引っ越しから今回までに増えたけどまだ読んでない本が2割。それでも「明日開くかもしれない」と思って取っておいてしまう私が愚か。広いお家に住んでいたらどれだけ本と本棚があってもいいのだろうけど、一人暮らしの賃貸で読まない本を大量に積んどくってそれだけで大変な贅沢である。

 今回はとにかく「5箱は処分する」と決めて、「もう読んだ本」「積読になって5年以上経過している本」「開く優先順位が低い本」を処分箱に入れていっているのですが、「もう読んだ本」の中に名前入りのサイン本(小川さんへって書いてあるやつ)とかたまにあってやばやばやばってなる。すみませんすみませんすみません。

 本を処分するにあたっては服よりもさらに後ろめたさがあるのだが、しかし今回、ひとつだけこの後ろめたさを軽減する考え方を思いついた。

 それは「この本は私の元を離れて必要としている人のところへ行く」と思うこと。私が手放さないことで眠っているけど、手放したら誰かの知になるかもしれない。そしてその人に影響を与えた知がそこで花開き、人類の共有知となり、巡り巡って私の元にもいつかまた戻ってくるかもしれない。何を言ってるかわからないけどそういうことです。

 以前、「全集とかは近所の図書館に寄付するのも手だよ。クラウドに上げておくみたいなものと考えればいい」とアドバイスされたことを思い出す。終のすみかを得るまでは定期的に本を処分する生活が続くだろうなあと思う。

今週の取材

 週刊新潮に掲載されたコラムの中で、作家の深沢潮さんら外国ルーツの人が個人名を挙げて差別に晒された件について。深沢さんが都内で抗議のための記者会見を開いたので取材しました。

2025.8.4撮影

2025.8.4撮影

 問題となったのは、週刊新潮の7月31日号に掲載されたジャーナリスト・高山正之氏の連載コラム「変見自在」。この回は「創氏改名2.0」というタイトルで、一言で言うと強い排外主義的思想が語られています。

 まず、外国人が日本国籍を取得するのは米国と比べて簡単で、日本の歴史を知らなくてもなれる、帰化要件に日本の歴史知識はいらないと書き、「南京大虐殺はでっち上げ」「慰安婦は公娼で性奴隷じゃない」などという発言をした人たちを朝日新聞が攻撃して辞めさせたと。

 この時点でかなり思い込みが強い内容ですが、後半ではさらに深沢さんや、外国ルーツの東北大学教授や俳優さんが個人名を挙げられて、日本人じゃないのに日本名を使って日本を批判する人たち、かのように書かれています。

 これは原文を読んでもらわないとひどさが伝わらないのだが、著作権上の問題があって原文はシェアできない。この記者会見を伝えるニュースのコメント欄が「結局コラムに書いてあった内容の問題点はなんなの?」と混乱している様子があったが、これは仕方なくて、コラム内容を要約しようとしても思い込みや根拠レスな飛躍ばかりでどの部分がどう問題なのか読んでない人に説明しづらい。全文ひどい、としか言いようがない。

 あまりにひどいので、作家さんやライターさんなど何人もの人が抗議メッセージに名を連ねているのですが、例えば「コラムのどこを読んでも、主張したいことの根拠、文の前後関係、語句の選択など、ほぼ全ての箇所が赤字で訂正したくなるほど低質でびっくりしました」(安堂ホセ氏)、「それより何より週刊新潮がこれを載せたことがおかしい。私が新潮社の雑誌で日常の雑談的なコラム書く時ですら担当者が細かくチェックしてくれて、表現を変えたり色々やってますけども」(東村アキコ氏)など。もう怒りと同時に呆れだよこれは。

 会見では、レベルが高いと評判の新潮社の校正校閲がなぜこのコラムにはまったく機能しなかったのか……とも指摘されてました。

 高山氏のコラムでは「日本人の差別意識を批判する深沢潮が韓国人の子女だと朝日が明かしたのはだいぶ後になってからだ」と書かれているのですが、まず深沢さんはデビュー当時からコリアンルーツであることを明かしている。そして「朝日(新聞)が明かしたのは」って書いてあるからまるで深沢さんと朝日新聞が何かの縁があるかのようにも読めるのだけど、別にそういうことでもない。おそらくは、朝日新聞嫌いの高山氏が思い込みで「朝日が!朝日が!」となってるだけ。

 コラム内で深沢さんについて直接触れているのはこの文章だけで、深沢さんを知らない排外主義的な思想の人がこの文章だけ読むと「そうか、深沢潮というやつは日本人嫌いのくせに日本人名を名乗って本名を隠しているのだな!」と憤怒するわけですけれども、ほぼデマです。

 私のような名もなきライター(しかもフェミ)がもしも新潮社から頼まれた原稿でこんなことをやらかしたら掲載されないのはもちろん一発出禁だと思うんですけど、故・安倍晋三元首相も愛読者だったという高山氏のコラムは新潮社にとって赤を入れることなどあってはならない、のかもしれない(アカだけに……)。

 私が会見で質問したのは2点。(1)「新潮社の社員から深沢さんにこの件で直接連絡はあったのか」と(2)「今後、訴訟を検討するか」で、(1)については申し訳ないという連絡があったのだそう。(2)は、代理人の佃克彦弁護士が答えて「今のところはない。なぜなら我々は新潮社を信用しているから(新潮社の対応に期待しているから)」とのことでした。

 新潮社はその後、お詫びを出したけれどもその中で「差別」があったとは認めていないし、深沢さん以外のことはスルーしているし、その次の号でも高山氏のコラムを掲載しているし、まったくもう呆れ果てる。そして私のような、新潮社から本を出していない木端ライターがどんなに何か言っても小石ほどの影響力もないのが悲しい。売れてえ。

 深沢さんは会見で、(こういう抗議をして)自分が面倒な人だと思われることはもうわかっていると淡々と語ってらして、すごくつらくなった。

 私が一番引っかかっているのは、高山氏は深沢さんを「日本人の差別意識を批判する」と評するが、具体的に深沢さんがいつ何について何を批判したかを書いていない点。深沢さんは新潮45の廃刊騒動の際に新潮を批判したし、週刊ポストで「韓国なんて要らない」という特集が出た際に抗議のためにリレー連載を抜けている。

 差別に声を上げると「日本嫌い」「日本人嫌い」と陰口叩かれるって、なにそれ。その論法は排外主義の人にしか効果はないのだが、排外主義の人の中ではこうして事実関係がかなり曖昧に伝聞されて「あいつは日本嫌いだ」「反日だ」とされていくことが怖い。

 会見の中で深沢さんは「私は生まれ育った日本をこよなく大切に思っています。この地に素晴らしい友人もたくさんいます。美しい自然も、美味しい食べ物も、私の気持ちを満たし、居心地の良い思いを抱かせてくれます」と語ってらして、わざわざ深沢さんにこんなことを語らせてしまう状況がつらい。

 こんなの言うまでもないことだと思うんですけど、こういう問題じゃないとしたって、人の心って複雑で、「嫌い」と「好き」が半々で入り混じることって普通にある。ましてや外国ルーツの人が生まれたときから日本で暮らすというのは想像するだけで複雑なことで、一言で「好き」とか「嫌い」で言い切れるものでは絶対にないのは当たり前だと思う。そういう本来、たくさんの言葉を使って語られるべき個人のアイデンティティを、他者が適当に「日本嫌い」「日本人嫌い」とまとめることの雑さ、無神経さが私には許せん。言葉と文字を使って思考する人間であることを放棄しているとさえ思う。

 深沢さんの自伝的エッセイ『はざまのわたし』(集英社)は、私が今年読んで一番良かったと思うエッセイなので、未読の方はこれを機にぜひぜひぜひぜひ読んでほしい。私は深沢さんとは数年前から面識があり仲良くさせてもらってるのだが、『はざまのわたし』を読んで、私は深沢さんのことを全然知らなかったと恥ずかしくなった。何度かごはんをご一緒しただけでその人のことがわかるなんてことはないとわかっちゃいるけれど、普段の深沢さんの笑った顔からはその裏にあるたくさんの葛藤を想像できなかった。

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女性の休日

 8月4日は記者会見取材の後、映画の試写を見ました。

 ジェンダーギャップ指数16年連続1位のアイスランドで、1975年に行われた「女性の休日」っていうストライキについてのドキュメンタリー。泣いたよ。これは泣いた。

 詳しくはまたレビューの方に書こうと思います。公開は10月25日からだそうです!

駐日アイスランド大使館
@IcelandEmbTokyo
🎬【映画『女性の休日』予告編】
1975年、アイスランドの女性たちの約90%が仕事や家事を休んだ「女性の休日」。社会に大きな影響を与えたこの歴史的な一日を振り返るドキュメンタリーが、50周年を記念して2025年10月25日より劇場公開。 youtube.com/watch?v=_wtomc…
映画『女性の休日』予告編(2025年10月25日より劇場公開) 1975年10月24日、アイスランド全女性の90%が仕事や家事を一斉に休んだ、前代未聞のムーブメント「女性の休日」。国は www.youtube.com
2025/07/31 16:40
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猫の話

 そんなわけで、先日東京出張の際に、友人とタクシーに乗ってたんですよ。引っ越したばかりでの東京日帰り出張で、京都に置いてきたキャッツ(ももちゃんとこたつ)のことを頭の中で心配していた。

 ちょっと友人と話し込んでいたら、急に「…ニャーん」って声が聞こえたんです。タクシーは街中を走っているけれど、今の声ははっきりしていて絶対車内から聞こえた距離。え?って思って、友人にも「猫の声?」って言ったら「聞こえた」と。

 もしかしてキャッツに何かあった? これは虫の知らせ? 遠く京都から私に緊急メッセを送ってきた???

 「え〜、なんで? 何かあったらどうしよう……」って混乱していたら、運転手さんが言ったんです。

「実は最近、猫を轢いてから時々声が……」

 もう、「猫をひい」ぐらいのタイミングで「マジですキャアアアット!」って絶叫しました。

 私の勢いに運転手さんが笑って「……というのは冗談で」って言ってた。

 「…ニャーん」は運転手さんの着信音でした。車に轢かれた猫がいなくて良かったホっ。

うちのニャンズは引っ越し先でも元気です

うちのニャンズは引っ越し先でも元気です

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  • 引っ越し、補足

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