たまたまな日々・社会運動と支配欲
ため息をつきたくなるようなことがあり、今日はちょっと重ためなことを書きます。
11月29日
ここ1年ほど、社会運動の中で支配欲を発露してしまう人についてたびたび考えざるを得ないことがあった。わかりやすいところで行くと、良きこととされる運動の中で起こる性暴力とか。性暴力やセクハラパワハラと理解されるものへは理解が進んできたように思えるが、運動の中にはもっと細かな圧力が生じることがある。
直近で見聞きしたケースは次のようなもの。
・ある運動のコミュニティに参加した若者が「仕事もあるのでなかなか運動に時間を割けない」という悩みを年長者に相談したところ「寝る間を惜しんでやれ。私たちの頃は〜」と説教され、結局すぐに辞めてしまった。
・ある党の党員になった人が、運動の意義にはもちろん賛同するけれど、年長者から「もっとこうしろ」「できるはずだ」と圧をかけられるのがしんどいとSNSに投稿しているのを見た。
社会の権力勾配、資本主義をベースとした権力構造、そういったものを問いただそうとして運動をしているのに、運動の中でヒエラルキーができて、マウントがありマンスプがあり、ダメ出し、説教が始まる。
フェミ友と先日3人で飲んでいたとき、「もしも私がハラスメントとかマウントとかし始めたら指摘してくれ」っていう話になった。1人が「もしもゾンビになったら額を撃ち抜いてくれ、みたいな」って言っていて、めちゃウケた。
自分たちが「良いこと」をやっているはずだという欺瞞は、社会運動を好まない層からよく批判される。私は「そんなことないのになあ」と思うところもあるけれど、当然気をつけなければならないこと。
そんなことを考えていたら、
20代のフェミ女子からめちゃくちゃなマウントを喰らって、私はチベットスナギツネの顔になった。