たまたまレビュー#29『わたしたちの中絶 38の異なる経験』
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今週の一冊
▼『わたしたちの中絶 38の異なる経験』(石原燃・大橋由香子/明石書店)
簡単なあらすじ
妊娠中絶手術は個人的な体験であるけれど、それは深く社会と結びつく体験である。もっというと政治。政治的な思惑と生殖にまつわる事象(避妊・出産・中絶)は強く結びついている。本書は28人の女性とノンバイナリーの体験が核ではあるが、その個人の体験がいかに外側の世界によって決定されるかを示すように、戦前戦後の歴史や、現在の日本の状況について記者や現場の助産師たちがまとめた記事が、その前後を挟んでいる。
「彼女たちの断片」
実は3月15日付の東京新聞で、こちらの本の書評を書かせてもらいました。しかし800文字だったために書けなかったこともあって、それをここで書いておきたい。
東京新聞の記事では、編著者の一人である石原燃さんの戯曲「彼女たちの断片」を見終わった後のあたたかな気持ちを忘れられないと書いた。一人の女性が中絶薬を飲む一夜を、いろんな年代の女性たちがおしゃべりしたり食事したりしながら見守る様子を描いた作品である。私の「中絶」に関するイメージを大きく変えた作品だったので、知らない人にも知ってほしい気持ちがあった。
生理について初めて教えてもらったのが確か小学校4〜5年生の頃だ。それからわずか数年で「中絶」の噂を耳にするようになった。中学校の先輩が妊娠してしまって中絶したらしいよ、などの。10代で妊娠してしまう子の多くは中絶する。隠しているけれど噂は広まる。「言ってはいけないこと」のようにそれは口々に伝えられる。
ドラマでは、中学生や高校生の妊娠についてがたびたびテーマになった。ティーンが読む雑誌や少女漫画などの中にも、妊娠した女性が階段からわざと落ちて流産しようとしたり、中絶費用のためのカンパを集める話が出てきたりした。
10代の私にとって中絶手術はまず「お金がかかること」で、それから「痛そう」であり、さらに「いけないこと」だった。生命を奪った事実について心を痛め罪悪感を覚えなければいけないことだった。それが当たり前であり、その前提を深く疑ったことがなかった。
ろくに性教育もしないのに、学校に通っているうちは絶対に妊娠してはいけなくて、もし妊娠してしまったら人生詰んだほどの状況になり(あるいはそう思い込まされ)、しかしいったん「結婚適齢期」になると今度は歳を取らないうちに早く産めと言われる。大変困難なことであると思う。この困難を自覚させないために、女子には早いうちから恋愛モノのフィクションを過剰摂取させ、頭を麻痺させて「恋愛+結婚+出産=女の幸せ」の公式を刷り込んできたのではないかと思うほど。昭和の時代はそれでなんとか乗り切ったっぽいが、人の価値観があらゆる面で多様化した現代においてはもうちょっと無理ですよね。
生殖コントロールの歴史
改めて勉強になったのが、大橋由香子さんが執筆担当している第Ⅰ部「中絶をめぐる長いお話」である。戦中の産めよ殖やせよにしろ、その後の産児制限にせよ、政治的な思惑によって生殖がコントロールされるのは漠然と理解していたが、詳細を知ることによって改めておそろしく思った。
明治の時代に刑法堕胎罪ができて、これを理由に逮捕された女優もいた。堕胎できないから多産によって身体がボロボロになる女性も多くいた。
日本がアジアを植民地化しようとした時期には「人口1億人」が目標に掲げられ、女性は21歳まで、男性は25歳までに結婚して5人以上の子どもを産むことが奨励されたという。この頃には結婚貸付制度や「優生結婚相談所」があったといい、最近の行政による「婚活」奨励が連想されてしまう。
戦中は母体がかなり危険な状態でも中絶が許されずに産むことが強いられ、しかし戦争に負けると一転して今度は人口を減らすための政策が進められることになる。「優生保護法」によって中絶の許可条件に「経済的理由」が加わったことにより、中絶手術のハードルがかなり下がった。
「産む性を持ってることによって犠牲を強いられる」は、本書内で引用されているインタビュー中の言葉である。