たまたまな日々・8月13日(木)
積読は大人の嗜み。
朝から下鴨納涼古本まつりへお出かけ。
▼8月11日〜16日までやってるよ。
下鴨神社は京都御所の北東、鴨川デルタのちょっと北に位置する世界遺産です。境内に「糺(ただす)の森」があり、年間を通してここでいろんな催事が行われます。なかなか気持ちの良い場所です。

マイナスイオン出てそう
昨日は涼しく、お昼前からは霧のような雨も降り出して、ちょい歩きするにはもってこいでした。
古本は文庫が5冊で800円とか1冊100円とか。お買い得で気分が高揚したのだけれども、気持ちに反してなぜか本と全然目が合わず、一冊も購入せずに帰ったのでした。まあ積読が大量にあるので増えなくて良かったのだけれども、こんな日もあるんですね。
並んだ古本を端から端まで見ながら、これは明洞の安いアクセサリー店でピアスを見ているときと同じ気持ちだなあと思った。じーっと眺めて選ぶ作業、それ自体が楽しいんですよね。いちいち、自分と合うかしら、どうかしら、値段と見合ってるかしらって考えるのも同じ。
ただ私は、アクセサリーに使うお金は「浪費」枠に入れているのに、本の場合は別腹に考えちゃっていて、そこは違う。本にお金を使うことには罪悪感があまりない。使ってるお金は同じなのに。これはどう考えても、両親の影響だと思う。はっきり言われたことがあるわけではないけれど、小川家では本や漫画に使うお金は必要経費で、ファッションやメイクへの浪費は本に比べて程度の低いお金の使い方って考えられていたフシがある。
しかし実際は、毎日どれかは使うアクセサリーに比べ、積読ばかりが増えていく本はお金の使い方としてあまり効率的ではないと思う。効率ばかりを求める必要はない、とはいえ、本棚を充実させるだけの自分に対して、これは知的コンプレックスを埋めるための散財なのではないかと思ったりもする。本が好きな自分でいたい、みたいなね。私は永遠に本というものに片想いしている気がする。
ちなみに、今読んでいるのは有吉佐和子の『紀ノ川』なんですが、奥付けを見たら昭和48年発行だった。昭和39年に文庫が出ていて、48年で18刷ですって。あやかりたいものだ(すぐそういうこと言う)。背表紙を見たら「¥160」って書いてあったよ。当時は文庫ってこんな値段だったんですね。

古い本だ
実家から持ってきたのだけど、発売当時に両親のどちらかが買ったものなのか、それともいつかの段階で古本屋で買ったのかはわからない。先日訪れた大阪の古書店では、もうちょっと新しい『紀ノ川』が置いてあった記憶。
内容は明治〜昭和に和歌山の名家に生まれた女三世代の話なのだが、一文一文すべてに迫力があってこわいほど。私は優れた芸術というのは神様がそこに置いておいたものを天才が掘り出す作業だと思っておるのですが、これはそういう本ではないかと期待してる。
